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がん(膵臓癌)に出会って初めて判ったこと

家族がステージ4すい臓癌・手術不適から、手術にこぎつけた

作業備忘録

なんと・・・SSL設定するのを忘れていました(^^;
慌てて設定。
  1. 2019/02/18(月) 17:45:31|
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ケモブレイン

ケモブレイン・・・化学療法と脳・・・・
つまり、抗癌剤治療をやっているとき、もしくはやった後に起きるちょっとした記憶障害?
http://hospital.luke.ac.jp/about/approach/pdf/ra22/4/research_activities_4_2_1.pdf

これに似たような症状があるような気がしています。
そもそも末梢神経障害が起きるって言われていたんですから、
脳の活動に若干問題が起きる可能性はあるかも?とは思っていましたが
本人が自覚しているコトが増えてきたように感じます。

もともとカタカナ語が弱い(笑)っていうのもあったのですが、最近はそれが赤ちゃん言葉のようになってしまったり
「ご飯食べりゅ」とかそんな感じ。
名前が思い出せないとか、忘れ物をしやすいとか、以前よりも頻度が上がっているような気がします。
本人は「脳が壊れたかな?」なんて言っていますが、言葉の印象とは違ってもしかするとかなり気にしているかも知れません。

元々は、面白いことを言ったときにネタにしていたのですが、ちょっと指摘するのもかわいそうになってきた感じもあります。
気にしなければ良いのですが・・・
というよりも、もしそれがケモブレインだとすれば、ちょっと対策立ててあげたいような気もします。

で、これは、通常生活に支障が起きているわけではないので、
メモ魔になれとか、チェックリストを作れとか、そういう話じゃないんです。
いろいろと障害を自覚してしまうのは、治療から遠ざかります。
治療から遠ざからないときは、生活の質に嫌気がさしてきます。
どちらにせよ、気持ちの良いものではありません。

そして、その後に再発・転移が起きたら・・・・
「全然良くならなかったのに、再発なの?」と「もっと治療しなければいけないの?」と
そうなならいでほしい。
手術に向けた治療中よりも、恐怖心があります。

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  1. 2017/06/25(日) 01:09:23|
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何も言えない

友人がガンになったり、読んでいたブログの方が病状が変わったり。。。
そして、良いことも、悪いことも、その時々でいろいろある。
もちろん、それはこっちも同じ。

なんて言えば良いのかわからない。
ガンバレも禁句になりつつあるし、かといって大変だよね、ってのもおかしいし。
心を痛めていたり、励まされたり、また逆に励ましたくなったり。

だけど、本当はどんな言葉が良いのかな?って思うと、それが言えないです。
3ヶ月前に、戦友のことを書きました。
http://fit393.blog.fc2.com/blog-entry-39.html

彼が手術できたとき、おめでとうという言葉と同時に、羨ましい気持ちが湧きました。
ウチの方は、励みになったと言っていましたが、やっぱり羨ましかったと。

僕らが手術で退院するとき、彼は緩和病棟に入ることを考えていました。
なんて言えば良いのか判らなかった。
気持ちを察すれば察するほど、言えなくなった。

だから、そういうときは、笑って寄り添うしか無いんだよな、って。
もし何かを求めていたら、全力で答えるために。
その準備だけしていれば充分なのかな?

僕らは、来週定期検査です。
体の調子は、なんというか、おそらくTS1の副作用がちょっとずつ溜まってきていて
味覚障害や、しびれ、だるさ、胃腸の不快感があります。
すごく怖いですね。
乗り越えるっていうよりも、身を任すしか無いんだけどね。

そうだ、友人の手術、どうなったんだろうか?
良い方向に向かってくれればいいな。
祈るしか無いね。
うん、祈っているよ。


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  1. 2017/04/21(金) 23:59:26|
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病院にあったらいいな、って思ったもの

治療が短期間だったらそれに越したことはないのですが、長期戦の場合、しかも外来の場合は、かなり時間が掛かるのもよくあることです。
最近の大きな病院は、だいぶ変わってきていて、病院内にコンビニやATMがあるのも普通のことです。
普通の食堂も、スタバも、喫茶店も、医療用具の販売、もうたくさんありすぎて。
いやぁ、便利になっていますね。

だけど、いつも思っていた「あったらいいな」って。
ネットで検索しても、ちょっと見当たらないです。
それは、時間貸しのベッド、です。

大病院ほど、待ち時間が長いです。
例えば、化学療法に行ったとします。
まず血液検査、それが終わって外来診察はおおよそ2時間後、さらに化学療法まで1時間半。
こんなのざらです。
やっとの思いで病院に辿り着く場合もあるでしょうし、付き添いの家族の方も体を休めるのがベンチとかではつらいですよね。
治療後、帰るまでちょっと休みたいって事もあるでしょう。
入院の時もそうです。
検査手術でも、4~5時間待つとなると、僕は一旦車に引き上げて横になっていました。

とにかく待ち時間が長いし、かといって、一旦帰れるほどの時間はありません。
ちょっとのお金を払っても、横になりたいと思うんですけどどうでしょうかね?
待合室のいすがどんなに良いものだったとしても、横になれるかどうかでは、全く違うと思うんですよね。
ベッドを貸すというのが消防法とかでややこしいんだろうか?

検討して頂けると、非常に嬉しいです。

あ、これって、僕がビジネスとしてやれってことかな?


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  1. 2017/02/17(金) 16:30:33|
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戦友

人の紹介で、電話で話したのは随分前でした。
今はSNSで自分の行動の記録とか見られるから、調べてみたら2014年の7月だったみたい。
たぶん、転院した頃の話だと思う。
音楽に詳しくて、そのころも十二指腸に問題を抱えていたらしいんだけど、それは大したことでは無かった。

ところが、彼もすい臓にがんが見つかって、同じ病院に転院した、と聞いた。
外来の曜日は同じだから、たぶんすれ違ったりはしていたんだろうけど、面識がないので判らなかった。

実際に会ったのは、去年の1月。
彼の事務所で、ずっと音楽の話をしていた。
その時点では彼は、GEM+アブラキサンからGEM+TS1に変更していた。
そして、外来でも良く喋るようになっていた。

彼が手術できて、すごく嬉しかったのと同時に、ちょっぴり羨ましかった。
まだ僕らは、4回目の検査の前、つまり腹膜播種に挑んでいるときだったから。
だけど、しばらくして外来に来た彼と奥さんはちょっと様子が違っていた。
どうも、マーカーが上がっているようだった。
術後の抗癌剤を、変えることになるらしい。

どういう経緯で、どんな検査をして手術に至ったのかは詳しく聞いていない。
というか、聞けていない。
空腹感はあって、食欲もあるらしいけど、やっぱりすぐに満腹になるようだった。
僕らが、5回目の検査を終えて、手術が決まったあたりでは、だいぶ副作用が酷かったようだった。

実は、僕らの手術の日、コンビニに寄った僕は外来を覗いてみた。
奥さんが一人で来ていた。
副作用が強いようなので、量の調節をしてもらう相談に来たらしい。
本人が居ないことが気になった。
「今、手術中なんですよ」と言ったら、驚きながらも「おめでとう」って言ってくれた。

数日後、見舞いに行った僕は、廊下を歩きながら、3つ手前の病室に彼の名前を見つけた。
驚いて入っていったら、苦しそうな彼がいた。
急に歩けなくなり、転移が骨髄にあることが判ったらしい。
樹状細胞ワクチンの治療の申し込みをして、もうすぐ治療開始というところだったらしい。

あまり状況が良くないのは感じた。
12月に入って僕らが退院するとき、挨拶に行った。
何も言わずにいたほうがいいのかどうか迷ったけど。
だけど、本当になんて言えば良いのか判らなかった。
今まで使っていたマジックハンドを渡して、冗談言いながら、音楽をちょっと聴いて。
彼は「もっと音楽の話が出来れば良かった」と泣きながら言った。
だから「またすぐ外来来ますから、次の時には○○のCD持ってきます」と答えた。

1月に入ってすぐ。
いつもの病棟に行ってみたけど、緩和病棟に行ったと教えられた。
すごく綺麗な部屋だった。
くすりのせいで、若干意識が薄かったけど、聞かせたCDの作曲者名をハッキリと言った。
ディミトリ・ティオムキン こんな名前がすぐに出てくる人はそんなにいないだろう。
また、すぐ来るよ、と約束して病室を出た。

翌日、紹介してくれた友達から電話があった。
亡くなった、と。

お互いの闘病を励まし、喜び、本音では羨ましく思い、そうやって勇気づけあった関係。
お互いの気持ちの触れ方が、逆の波が多かったかも知れないけど、
間違いなく一緒に戦った仲間だと思う。
本人だけではなく、その家族も。

彼の残したものは、いくつかは世の中に出ているもの。
だけど、彼の感性は、受け継がれたのだろうか?なくなってしまうのだろうか?
そう思うと、何か残しておきたいと思った。
このブログを書き始めたのも、それが一つの理由です。

テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体

  1. 2017/01/12(木) 09:05:19|
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