がん(膵臓癌)に出会って初めて判ったこと

家族がステージ4すい臓癌・手術不適から、手術にこぎつけた

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そのとき

**これから書く内容は、5月22日のことです
**闘病中の方はテンションが下がるかも知れません


朝、5時に目覚めてしまいました。
看護師さん達は、夜中に何度も様子を見に来たようですが、疲れた僕は殆ど覚えていませんでした。
目が覚めたら、先週のように回復していないかな?と淡い期待を持って目を移しましたが、その期待は成就しませんでした。

昨日よりも浅い呼吸の回数が多くなっています。
まだ目を開けたままですが、視点は定まっておらず、問いかけにも答えられません。
まつげに軽く触ってみますが、昨日は瞬きの反応がありましたが、今日は反応がありません。
気を落ち着かせるために、まずはコーヒーを探して飲むことにしました。

7時になった時点で、僕の両親と、本人の弟、従姉妹に連絡しました。
本人が「親友」と言っていた人が判らなかったのですが、スマホから手当たり次第に掛けて連絡します。
近親の人以外には、この病気のことを伝えていなかったので、皆一様に驚きます。
申し訳なく思います。

お昼あたりから、下顎呼吸が始まりました。
もう、その時を迎えることを避けられないとあらためて悟ります。
苦しそうにしているので、酸素マスクをしていますが、痰などで2度ほど呼吸が止まりかけます。
その度に看護師を呼び吸引します。
なんとか、最後に意識が戻って欲しいと思いますが、また逆に、苦しい思いを認識させたくないという思いも交差します。

僕の父にも、母にも、元気になってから会いたいと言っていました。
父・母は、会いたくて会いたくてしょうがなかったのですが、本人の治療を優先したいと言って会わせないでいました。
申し訳ない気持ちでいっぱいです。

バイタルサイン(脈拍・呼吸数・血中酸素量など)は、小さなモニターで見られるようにはなっていましたが、大きなモニターが運び込まれました。
それによって、酸素量も僕が勝手に変えて構わないことになっていました。
ただ、そのモニターは、おそらく一番嫌な瞬間を確実に伝えてくることになるのでしょう。

僕は、何度か電話をするために病室を出ました。
歩いて20秒ぐらいのところですから、すぐ近くの場所です。
例えば、本人が店舗営業を継続するためには、役所の店舗視察を受ける必要がありました。
その際、本人が立ち会う必要があったのですが、配慮してくれていて、僕が立ち会う約束になっていました。
それが明日の予定だったからです。同時に、その近所のお客様に品物を届ける予定もありました。
その二つを事情説明して延期して頂くためでした。

その3回目の電話が終わったとき、見舞っていた従姉妹のお嬢さんが僕を呼びに来ました。
「戻らないとダメです」
確か、こんな事を言われたような気がします。

急いで病室に戻ると、呼吸が止まったばかりのようでした。
抱きかかえて、声を掛けますが、呼吸は再開しません。
看護師も呼びましたが、特に手を打てる状況ではありません。
横になった状態のまま、何度も揺すりますが、1度大きく息を吸ったように感じました。
もちろん、これが自発呼吸ではなく、単に気道が開いて空気が入り込んだだけというのも知っています。
が、大きく息を吸って、と声を掛けるしかありません。
一時的に、血中酸素濃度の表示が上がりましたが、心臓は動いていないようです。
さらに、もう一度空気を吸ったように感じましたが、モニターからは警告音のみが鳴っている状態になりました。

主治医が、いたたまれなくなったのでしょう。
僕に声を掛けて、生体反応を確かめます。
そして、亡くなったことを伝えられました。

僕は、後ろから抱きかかえてあげたいので体を起こして欲しい、と看護師にお願いしました。
そして、感謝の気持ちと、いくつかのお願いをしました。
そのお願いは、現実的ではないものですが、9月に行われる一緒に出席予定だった結婚式の時に、何か僕らに判る合図をして欲しいというもの。
もうひとつは、一年後の今日、同じように何かのサインをして欲しいというものでした。

抱きかかえて判ったことがありました。
足の浮腫も酷かったのですが、体の浮腫、そしておそらく腹水も感じられました。
本人は、そのことを自覚していたでしょうが、僕には伝えないでいたようです。

しばらく、そのまま抱きかかえていました。
その時に、友人がやっと病室に辿り着き、僕に抱かれながら永遠に眠っている姿と対面しました。
一般病棟だと言うことを忘れて、涙を流しました。

看護師にお願いして、ベッドに横になるようにしてもらいました。
着替えをさせるというので、前回の入院の時、退院の用に買ったパーカーを着せて欲しいと頼みました。
今回も、退院のために着せる予定でしたから。

こうして、最後の退院は、僕らは別々の車で病院を後にすることになりました。



**
記事は、5月22日のことを、6月1日に書いたものです。
よって記事の日付を、5月22日に変更しています。
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  1. 2018/05/22(火) 23:24:05|
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初めての泊まり込みの付き添い

**これから書く内容は5月21日のことです

月曜日、昨日の状態からは心配なのですが、夕方まで会いに行くことが出来ません。
とりあえず、昨日の医師との話を本人の弟に伝え、一番仲良くしている従姉妹にも伝えました。
従姉妹は、日中に会いに行ってくれるそうですが、4月に会ったときからは全く想像が付かないようでかなり動揺していました。
それはそうでしょう。
今までも治療を続けながら、必ず元気な姿しか見せていませんでしたから。
16回入院して、必ず退院の目安を伝えていましたから。

LINEで、会いに行ってくれたこと、だけど話は出来なかったこと、などを知りました。
本音では、ここで若干でも回復していることを期待したのですが、それは叶いませんでした。

夕方、僕も病室に向かいますが昨日の様子とは若干違っていました。
浅い呼吸で、回数が多くなっているのです。
脈拍もかなり多く、心臓が弱っているために一回のポンプ量が少なく、回数で補っているようでした。
緩和科の先生も回診に来ますが、優しい言葉をかけてくれるだけで、特に処置が出来る状況ではないようでした。

まつげに触ると、目をぱちりとしますが、半分開いた状態で視点が定まっていません。
話しかけていると、何回か頷いたり、声を出したりしますが、これも判っていてのことなのか、正直判りません。
夜間の担当看護師が「今日も泊まっていって良いんですよ」と言いました。

僕は、聞き返しました。
「もし、僕があなたの親類だとしたら、あなたはこの状態の時、 今日は泊まっていって上げて下さい と言いますか?」と。
看護師は、即座に「そう言います」と。
布団を用意してもらうことにしました。

この4年間で、おそらく200泊ぐらいした入院ですが、はじめて付き添いで夜を明かすことになりました。
正直言って、明日になるのが凄く怖かったのですが、一緒に居たせいか、朝まで起きることはありませんでした。
といっても、その起きた朝は、5時ぐらいでしたけどね。

**
記事は、5月21日のことを、5月30日に書いたものです。
よって記事の日付を、5月21日に変更しています。

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  1. 2018/05/21(月) 23:36:53|
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残り僅かな日々

**これから書く内容は、5月20日のことです。

日曜日、僕は仕事をしていました。
午後3時頃、病院から電話がありました。これ、すごくビビります。
火曜の朝もそうだったんですが、嫌な予感しかしないものです。

「今日も面会に来られますよね?」
毎日一緒にいる仲良し夫婦ですから「いつ来ます?」じゃないんです(^^;
「ええ、どうしたんですか?」
「先生からお話しがあるそうなんですが、、、、」

嫌な予感です。
昨日の夜(土曜)に、だいぶ具合が悪い感じでしたが、木曜までは凄く元気だったのです。
そんなことを言っていても仕方が無いので、仕事終わりで速攻で向かうので18:00には着くと答えました。
それからの数時間は、心ここにあらずのような感じです。

着いたとき、まずは病室に向かいましたが、深く眠っているようです。
声を掛けても起きる感じではありません。
そこに先生がやってきました。
廊下に出ると、
「今、意識レベルがかなり落ちている感じです。そこで万が一の時なのですが・・・」
と話し始めました。

いやいやいやいや、ここで話す内容なの?

「ちょ、ちょっと待って、先生、ここじゃなくてどこかお部屋で話してもらえませんか?」

つまり、内容としては、容体の波が大きいが、今はかなり低いところになってしまっている。そこで、もしもの場合・・・例えば、心肺停止などに陥ったときに、救命措置をとるかどうか?の確認でした。
この医師は、月曜日の入院の時に担当した医師なので、僕としての面識は殆どありませんでした。
まずは、「先生からのお話の趣旨は、その点の確認と言うことで良いですか?」と聞きました。
先生はひとこと「そうです」と。

どこからお話ししたら良いのかしばし考えました。
僕が話した内容は、以下のようなものでした。

「今回の入院で、退院できないかも知れないことは聞いていました。が、それは僕だけであって、本人は知りません。自覚はしているかも知れませんが、僕ら二人としては、退院、少なくとも外泊の予定でした。外に出られないかも知れないという予定では無いのです。
月曜から木曜の驚く回復と、ここ数日の不良は、大きな波なのか判りません。ただ、このまま下がって行くのが仕方が無いとも思いたくないのです。つまり、今の下っている波に何かしらの原因があったとして、それに対処が出来るのならば、できるだけ上がれるようにして頂きたいのです。
原因は、素人ながらいくつかあると思っています。一つ目は、精神安定剤が強いかもしれないこと。痛み止めが強いのかもしれないこと。そして、もうひとつは、悪液質によるもの。薬については、管理されてしまっているので僕にはよく分からなくなっています。足の浮腫などの状況から、悪液質による影響もかなり高率だと思います。だとすると、今できることは、薬の再確認しか無いんでしょうね。ここまで合っていますか?」
「その通りです。」
「そうすると、薬の再確認をして、原因となるものが無いとすれば、後は見守るだけと言うことですね」
「その通りです。」
「わかりました。今まで、全ての先生にお話ししているのは、僕らは治療について責任を持って選択するので、可能性を教えて欲しいこと、そしてそれでも突発的に先生方が何か迷うような場面になったときは、チャレンジングな方を選択してください、というものです。これは、この病院と、先生・看護師の方達全てを信頼しているからです。信頼するというのは、何も 治す という行為のことではなく、僕らのことを理解した上で、最善を尽くしてくれると言うことです。
この病気が、難敵であるのは理解していましたが、それと同時にその専門となってしまった先生達のモチベーションはどうやって居るんだろう?と勝手な心配すらしていました。だからこそ、相互理解を深めて一緒に治療してきたつもりです。」

先生はここで、涙ぐんでいるように見えました。
僕は続けました。

「最善の方法を尽くして、その結果は受け入れる覚悟です。だから、回復に向けての検討は続けてください。その上で、心肺停止状態になった場合には、本人をこれ以上苦しめたくは無いので、救命措置はしないで下さい。くどいようですが、死に行く状態を了承したのではありません。最善を尽くした結果であれば、それを受け入れるのみなのです」

僕はもう少し続けました。
「一般的に救命措置は、どの様な場合で行われますか?」
「快方に向かう可能性がある場合です」
「それは、心臓マッサージにしろかなりの苦痛がある処置ですよね?」
「その通りです」
「ですよね。例えば、明日、特効薬が承認される予定というのであれば、それをお願いするかも知れませんが、そうではないですよね?であれば、やはり、救命措置は無しで結構です。」と。

最後にもう一度言いました
「ただし、何度も言いますが、まずは薬の処置の再確認をお願いします。その上で善処をして頂けると信頼しております。よろしくお願いします」と。

病室に戻りましたが、眠っているようです。
声を掛けてみますが、起きて返事をする様子もありません。
看護師さんが来て「今日、泊まっていっても良いですよ」と。
だけど、今の状態で急変するとは思えないし、思いたくないし、、、、
なので、布団などを準備するのは遠慮しました。

ずっと世話をしてくれている看護師さんが
「もし、夜中に心配になったら、何時でも良いから来て構いませんよ。」
と言ってくれました。

僕は、現実を受け入れたくないと思ったわけではありませんが、この日は家に帰り、両親や親戚に状況を説明しました。
どうしても、受け入れなければならない日が近付いてきているようでした。


**
記事は、5月20日のことを、5月29日に書いたものです。
よって記事の日付を、5月20日に変更しています。

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  1. 2018/05/20(日) 22:33:15|
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入院4日目以降

*ここから書くことは、5月17日から19日にかけてのことです

木曜日には、主治医からの今後の治療の説明とのことでした。
僕的には、かなり末期的な話をされるんじゃないか?と思っていたのですが、思いのほかソフトで「体力的なことを考えても、抗癌剤の副作用の方が強いと思われるので一旦化学療法は中止しましょう。これからは、緩和科との話しもすすめて、元気を維持するように頑張りましょう」的な内容でした。
本人も、現在の回復具合に満足していたことと、緩和病棟の入棟には拒絶感が無かったので「お願いします」と。
ついでに、「このままペースで回復して、早いうちに外出・外泊も出来そうですね」的にも言われました。
僕らは、この内容に満足しました。

一旦会社に帰って、食事のタイミングでまた面会に行きますが、「早く弁当とか買っておいでよ、もう食べ始めちゃうよ」と急かされます。
一階のコンピニで弁当を買いましたが、一応小さい物を買いました。というのは、大抵は本人が残すのを食べられるからです(笑)
ところが、おかずの交換をしたりしているうちに、割と多く食べられてしまったようで僕的にはちょっと物足りなくなってしまいました。
こんなに回復できるんだったら、早く入院すれば良かったね、なんて言い合って、じゃあ、また明日ね・・・と。

翌金曜日は、退院したときの場合の地域包括医療の説明の日した。
再入院手続きをする前に、自宅でできるだけの治療をするために、訪問ドクターを決めたり、僕自身が点滴が出来るようになったり、今までは病院に電話して、小一時間かかっていた治療が、自宅で気軽に受けられるようになるのです。
その話を聞きながら、本人は疲れてしまっていたらしく、横になっていました。
一通り話が終わり、じゃあ退院までに決めようね、と言いながらまた一緒の夕食。
ですが、だいぶ疲れていたのか、昨日ほどの量は食べません。
まぁ、ここまでがかなりのスピードでの回復ですから、一休みかな?と思っていました。

翌、土曜日は、本人の弟が見舞いに行ったようです。
その弟から電話があり「起きようとしたんだけど、疲れていそうだったから横になってもらったまま話をした」ようでした。
ちょっと先週あたりから、記憶の内容と時間の繋がりが不安定だったようで、それを色々思い出しながら繋げ直しているんだ、などと話したようです。

その日、僕はいつものように夕食時間に間に合うように病室に行ったのですが、疲れているのかなかなか体を起こしません。
トイレに行く足取りも、昨日よりちょっと重いようです。
食事もあまり食べずにやめてしまいました。
ここまで、かなり急に回復させちゃったかな?などと思いましたが、まぁ仕方が無い。

明日、日曜の日中は僕は仕事です。
早く終わらせて会いに来ることを約束して病室を出ました。

ですが、正常に会話が出来たのは、この日まででした。

**
記事は、5月17.18.19日のことを、5月28日に書いたものです。
よって記事の日付を、5月19日に変更しています。

テーマ:入院&通院 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/05/19(土) 21:46:23|
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入院二日目以降

火曜日(入院2日目)、朝に病棟から電話が来ました。

「夜、トイレに起きるのが大変そうだったので、個室に移って頂くのはいかがですか?」と。

個室には長所と短所があります。
一番の長所は、話し声なども含めて余り回りに気を遣うことがない点です。
そして、トイレの空き状況のチェックも必要ないです。これ重要。
具合が悪いときに、トイレに行こうと思って立ち上がって移動したものの、使われていたら大変です。
特に、以前あったのですが、下痢などがひどい場合は、トイレを占有したくなるほどですから。

短所は、なんと言っても追加料金です。これは、保険診療には含まれません。
単純に現金で追加料金がかかってきます。
大学病院の追加料金は安い部類ではありません。どちらかというと高いです。

ですが、これが保険診療に入る場合があります。
それは医師が診療上必要と認めた場合、です。つまり、簡単に言うと病院都合での個室入院は患者負担の自由診療部分にはならないんです。
それで単刀直入に聞きました。
「追加料金が心配なんですよ」と。
すると、病院都合ということになるようだったので、あとは本人がどう希望するかと言うことで移動して頂いて結構ですと答えました。
本人は、やっぱりそれを心配していたらしく「四人部屋で良いです」と言っていたようですが、結局は個室に移ることになりました。

病院の都合としては、上記のようなものはありましたが、本当にそれだけだったのかな?と思い、後で確認してみると、やはり別の要素があったみたいです。
一つは、精神状態が不安定だったようで、四人部屋の廊下側で、窓が無かったために圧迫感を感じて眠れなかったこと。そして、薬剤が管理されたことによって、自分の自由に痛み止めや導眠剤が飲めなかったことでナースコール連発になっていたようでした。
僕が導眠剤のブロチゾラムをやめた方が良いと言っていたことも影響はしていたようですが。

本人は、あまりそのことを覚えていないようでした。
そして思いのほか元気になっていて、筋力・体力の低下はあっても、かなり活動的で言葉数も多く、通常会話にほぼ戻っていました。
食事も1/3は食べているようでした。

木曜日に主治医から、今後の治療の説明がある、とのことでかなり緊張・不安はあったようですが、こんなに回復するの?というのが率直な気持ちでした。

--
水曜日、さらに元気になります。
話している内容も、単純な会話では無く、前日の出来事を時間軸に沿って説明することが出来ています。
つまり「今日、○○先生と××の話をしたよ」という単純な過去の話では無くて、
「今日、○○先生と、月曜の××の話をこんな風に説明して、その時こう思って・・・」という感じの2つの時間軸についての話も出来ています。
食事量も1/2にまでなっているので、無理して食べているんじゃないか?とすら思うほどでした。
ただ、無理に食べていれば、吐いたり腹痛になったりしますが、それはありません。
本当に食欲が戻ってきているようで、回診の先生も驚いたようでした。
そして、看護師と一緒に自動販売機まで行って飲み物を買ってきたていうのです。
どこまで本当なのか?とすら思いましたが、確かに僕が買ってきた覚えの無いボトルが置いてあり、病衣のポケットから小銭を取り出していました。
この状況を見て、翌日(木曜)の主治医の説明が、食い違いが無ければ良いな、とすら思ったぐらいですから。

というのは、主治医からの説明(インフォームドコンセント=IC)の約束時は、火曜の午前中。
体調がまだそんなに良くない状況でしたから。その状況前提で話をされるのは嫌だな・・・という感じだったのです。

僕としては、「退院できないなんて言われたけど、少なくとも外出・外泊ぐらいは出来るだろう」と思っていました。

**
記事は、5月15・16日のことを、5月21日に書いたものです。
よって記事の日付を、5月16日に変更しています。

テーマ:入院&通院 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/05/16(水) 09:22:57|
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17回目の入院

結局入院しました。
ココまでの経緯は・・・・
・4月末での低容量抗癌剤後、体調が悪くなる
・食欲が無く寝てばかりいる状況
・抗癌剤後の二週間後の外来診察には行けなかった
・月曜の受診を約束する
・おそらく入院しなければいけない
・もしかすると、退院は出来ないかも知れない

こんな状況でした。
受診(入院)は月曜なので日曜のことを書きます。

日曜、こんな状況にもかかわらず、僕は仕事に出るために本人を一人おいて行かなければなりませんでした。
たまたま、土曜の夜、23時にオキシコドン服用と同時にブロチゾラムを飲むのが通常でしたが、この日、体を起こしたのが22時過ぎ。
本人はもうオキシコドンは飲んでしまいたいという。で、ブロチゾラムは後にすると言いました。
これはラッキーと思いました。その通り、ブロチゾラムを飲まずに朝を迎えることになったのです。

思った通り、朝の意識はしっかりしています。
いざとなった場合の話をしながら、家を出ます。
結果としては、昼の薬もきちんと飲めて、帰ったときには表情も割とある状態で会話が可能でした。
「会話が可能」というのは大げさかも知れませんが、質問に「はい・いいえ」出しか答えられない状況が続き、その他の時間は眠っているというのは、会話とは言えないですよね?
明日の入院に向けて、準備するモノをバッグに詰めながら、思いました。
「ここまでの10日ほどは、本当に寂しかったな」と。

月曜に向けて、本当はブロチゾラムを飲んで欲しくないのですが、絶対に飲むと言って譲りません。
僕も薬の専門家ではないし、それで苦しませたくもないので、不安はありましたが飲ませることにしました。
が・・・やっぱり、飲んでからしばらくすると、ちょっと変なことを言いだしはじめる・・・
後悔しますが、もう仕方がありません。明日、病院行きを拒否しないでくれればそれで。

翌、月曜、やっぱり朝はなかなか起きられません。
ただ、病院側は外来と言っても入院前提のことですから、最初から処置室のベッドを開けて待ってくれています。
こちらは、行く直前に電話をすれば良いだけですから、採血の時間余裕を考えることもありませんでした。

何とか準備をさせて、、、、と、思ったのですが、よくよく考えると、入院前提なので、わざわざ着替える必要も無く。
ウィッグすら付けずに(あ、帽子はかぶりましたよ)車に乗せました。
途中、「今日は点滴したら帰るよ」とか「帰りにあそこでかき氷食べようね」とか言っていましたが、病院に着くなりベッドに横になりました。
結局病院に着いたのはお昼直前という微妙なタイミングでした。

当日の医師は、主治医ではありませんが状況は知っていて「この体調を戻すために入院してはいかがですか?」聞いてきました。
すると「ええ、一週間ぐらい入院させてください」と答えるんですよ。
こっちがビックリしましたが、本当に一週間で済むのか?という心配もありました。
とにかく、点滴の継続は出来るようになったのを安心はしました。

病室では特におかしな事は無かったのですが、いろいろ準備している間に看護師やら何やらと色々と打ち合わせ。
どうもやはり退院を目指すのは、そう簡単では無いような感じ。
罪悪感がどんどん大きくなります。
しかし、点滴の効果なのか、入院の安心感なのか、口数が多くなっていったのに気がつきました。
え?ここ数日で一番喋っていないか?
そうこうしている間に、夕食の時間になりました。
通常食が用意されたのですが、食べられるはずも無く・・・・と、思っていたのですが、急に起き上がって「ご飯食べる」と。
しかも、レタスのサラダから食べ始めたのです。
え?????
今まで、食物繊維を採ったときは、胃腸が痛む感じがすると言うことで避けていたはずなのに?
で、結局、サラダ半分と、イタリアンオムレツを半分、おひたしを半分食べてしまいました。
半信半疑どころか、信じられないというのが正直な気持ちでした。

その状況で、面会時間が過ぎたのでとりあえず帰りましたが、僕が安心しているのとは裏腹で、いろいろな事が起きていたようだったのです。

**
記事は、5月14日のことを、5月18日に書いたものです。
よって記事の日付を、5月14日に変更しています。

テーマ:入院&通院 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/05/14(月) 23:31:49|
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外来拒否

あ、最初にお断りしておきますが、拒否したのは外来側では無く、本人のほうです(^^;

前日に、外来の時間予定を確認して逆算して起きる時間を話し合いました。
11時に外来予約ですから、その1時間前には採血が行われている必要がありました。
ということは、渋滞も考慮して7時過ぎには本人を起こしておかなければなりません。

ところが、その時間に声を掛けても、なかなか動こうとしません。
いつもの虚脱感と眠気が同時に存在している感じです。
「もう少し寝たい」
これは仕方が無いと思いながらも、昨晩ブロチゾラムを飲ませたことを後悔していました。
本人にとっては薬は大事なお守りだったのです。
どうしても飲むと言って聞かないので、朝きちんと起きてね、といいながら飲ませたのでした。
が、やっぱり、薬の効果のほうが勝っちゃったようで・・・・

着替えをさせないとして、遅くとも、9時には家を出たかったのですが、全然起きてくれません。
そして「今日は具合が悪いから病院行かない」と・・・・

健常時だったら笑い話のような話ですがこれが事実です。
とにかく病院に電話することにします。

外来の看護師さんは、病状を一番深刻な場合として対処を考えてくれているので(元気に外来に行っても、ベッドで横になることを勧めてくれますから)
「本人が来たくない場合は、それでも構わないですよ。今日来られる場合は、お電話頂ければ良いですよ」と言ってくれます。
ただそれも、さすがにお昼過ぎには決断しなきゃダメでしょうね。
なかなか起きようとしません。
もうタイムリミットだと思い、本人に確認しました。
「今日(金曜)病院に行かないと、月曜まで外来受診は出来なくなるよ。もちろん、急変したら救急車呼ぶけど。だけど、僕の気持ちとしては、今首に縄付けてでも連れて行くべきか、救急車呼んでも連れて行くべきか、まだ迷っている。二日間病院に行かなかったことを後悔するんじゃないかと、怖いと思っている。だから、月曜は必ず病院に行くことを約束して欲しい」と。

本人は「わかった。月曜は必ず行く」と言いました。

もちろん、これは子供がおもちゃを買ってもらいたいときの言い訳と同じで「明日から必ず勉強するよ」みたいなものだということは判っていました。
だけど、それを咎めて無理矢理連れて行くことが出来なかった理由がもうひとつありました。
それは、看護師から聞いていた言葉で「今回入院したら、退院できないかも知れない」といった病状の見立てです。

僕はそのことを聞いてしまっているので、それを知らんぷりして病院に連れて行って、その通り入院になるのは避けたかったんです。
だから「わかった。月曜に病院に行こうね。だけど、おそらく今回は体調回復するまでの入院にはなると思うよ」とまでは伝えました。
本人はそれに対して「わかった」と答えました。

実は、日曜に僕は日中別の仕事のために外出しなければいけなかったので、それも心配だったのですが仕方がありません。

外来に再度電話して、月曜に伺いたい旨を伝えました。

外来拒否

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  1. 2018/05/12(土) 10:57:42|
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絶不調

4月の末に2度目の化学療法後、徐々に体調悪化が始まりました。
当日も、翌日も、いつも通りの量ではありませんが、ケーキもお菓子もご飯も普通通り食べていました。
4月30日の振替休日、疲れも溜まっていたようで外出すること無くずっと寝ていました。
翌日5月1日から、本人的にはいつもの痛みと、怠さがあるようで「とにかく不調」という感じでした。
このようなことはいつものことなので、あまり気にも留めませんでした。
5月2日になっても状況は余り変わらず。食事の量が徐々に減ってきています。寝ている時間はかなり長くなってきました。
うどんなら食べるかな?と言うので、肉とほうれん草とうどんを買ってきて鍋で煮込みましたが、小さい器1つぐらいしか食べられませんでした。
おそば食べたいというので、ゆでて天ぷらとかまぼこを載せて出してみましたが、これも小さい器一つでやめてしまいました。
週が明けて、寝ている時間が長くなり、食事は殆ど取っていません。

食事をしていない理由は、吐き気とか痛みが原因では無く、単に食欲が無いような感じです。
だけど、テレビで見るおいしそうな蟹クリームパスタを「食べてみたい」と言ってみたり、かき氷の映像が流れると「食べたい」と言ってみたりもします。実際は食べないのですが・・・

この時点では、僕はこう考えていました。
・食事をしていないので、食後服用薬を飲んでいない。胃腸系の薬は良いとしてもエチゾラムを飲んでいないので気分も下がっている
・場合によっては怒りっぽいときもあるのは、エチゾラムで改善できるだろう
・抗癌剤によって痛みが僅かに減っている可能性があり、オキシコンチン系が過多になってはいないか?
・栄養不足によって、内臓の機能が低下していて、代謝が悪く、麻薬系の薬の副作用が出ているのではないか?
・寝る直前に服用するブロチゾラムは、せん妄の大きな原因ではないだろうか?
・予約外で受診すると、救急扱いになって即入院を勧められてしまうのではないか?

本人的にも、かなり体が衰弱している自覚はあるでしょうし、せん妄(色々考えられない、と表現していました)も自覚しているので受診をしようか何度か迷っていたようですが、いつものように「おそらくしばらくしたら治るから」と答えていたので、僕としても強く受診させることは出来ませんでした。
前回から2週間後となる「通常予約の受診日」が早く来てくれればいいな、と思っていました。

ところが、その受診日になったら「今日は病院に行かない、この体調では行けない」と言い出したのです。



絶不調

テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/05/11(金) 11:05:19|
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