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がん(膵臓癌)に出会って初めて判ったこと

家族がステージ4すい臓癌・手術不適から、手術にこぎつけた

今の僕に似ているかも

http://dasinaki.blog.fc2.com/
このブログから、はじめて友達申請(?)「ブロとも」ってやつらしいですがしました(^^;

この方は、おそらくどこかであっていた可能性もある人。
そして、病院でももしかしたら会っていたかもしれない人。

だけど、今となっては「ねぇねぇ、こんな人化学療法室で会わなかった?」っていう確認は出来ません。
僕も同じように、限られた人にしか病気のことを話していませんでした。
同じように「うん、大変だったんだけど、もう大丈夫」って言うつもりでしたから。

実は、僕のブロク、ちょっと書けないというか、書くのが辛いというか・・・そんな日々が続いていました。
僕的には、闘病記は誰かの役に立つはず、と思って書いていました。
だって、自分だって知らないことがたくさんあって、その「知らないこと」はすごく重要なことばかりだったから。
だけど最近では、「それでも治療は奏功しなかったんでしょ?」って思ってしまったり、
それ以上に、今は辛い気持ちの方が大きくて、そっちのネタばかり思いついてしまう・・・
そうすると、このブログに来る人に、読みたくないモノを読ませてしまうよな・・・って思ってしまったり。
いろいろなことを考えてしまって、ね。

ただ、末期の話は書きたいなと思っていたんです。
というのは、一応知識的にはいろいろあったんだけど、心の準備が出来なかったりで、
今まで「なるほど」と思っていた状況の最期の期間は過ごせなかったんです。
だけど、それってそんなに変だったかな?と思ったりしていたのも事実です。

ちょっと前のエントリで「殆ど後悔していない」と書いていましたし、実際この選択はそれほど間違った選択では無かったはずです。
だけど、思い返せば、「あれ?これってもしかして・・・」って思うこともいくつかあったんですよね。

そんなときに、前述のブログを読みました。
ウチのカミさんもほぼ同じようなことを言っていました。
いや、僕はそう受けとっていたって言うのが近いのかな?
それは、「何らかの治療が出来るというのが、何よりもの心の支えで、元気の素だった」ということ。
おそらく、最期の数日前ぐらいまで、そう考えていたんだと思います。
そんなことをしばらく経ったら書いてみたいと思います。

テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/09/13(木) 20:56:08|
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後悔していること

タイトルには「後悔していること」と書いてありますが、実はそんなに多くないんです。
例えば、治療に関してはほぼ満足で、100点満点で言えば90点。
残りの10点なんて、もし文章にしたら大げさになるけれども、
それでもそんなことは全体のごくごく一部。

あ、そういえば、エンディングノートが見つからないってのは「まさかの事態」なんだけどね。

で、じゃあなんでタイトルが「後悔していること」なのか?

昨日、賛否両論の国民的テレビ企画、ありましたよね?
今年はマラソンじゃなくてトライアスロンやったヤツ。。。

去年も、チラチラと見ていたハズなんです。
カミさんも一緒に。
再発が見つかった直後だったから、たぶん、力をもらうと言うよりもさらに絶望を感じたり複雑な気持ちだったと思う。
僕も、それまでの数年間で
「こんなに苦しんでいるカミさんを助けて欲しい」的な感じで見ていたんだと思います。
だけど、今年は、ちょっと違った気持ちで見てしまいました。

僕は、闘病中の4年間、カミさんに出来るだけのことをしてきたつもりでした。
だけど、今思うと、それはちょっと違っていたようにも思います。

例えば、カミさんがイカを好きだったなんて、亡くなる直前に知りました。
同時に「おひたし」が嫌いだったこともその時に知りました。
もっとたくさん、一緒の時間を作ってあげられるはずでした。
それは旅行とか大げさなものではなく、近所の買い物とか、一緒に過ごす時間。
もっとたくさん、笑わしてあげられるはずでした。
もっとたくさん、安心させてあげられるはずでした。
そんな小さな事が、もっともっとたくさんできたんじゃないか?と。

テレビで夢を叶える企画に嫉妬するほど大きな事じゃなくて、
もっと小さな事(すら)をやってあげられなかったのかな?と。

彼女は1年前、手術が終わってから僕にこう言いました。
「あなたは、私のヒーローだよ。私が困ったときに、なんでも解決してくれたよ」と。
いやいやいやいや、そんなんじゃないよね。
もっともっと手軽な小さな幸せを、もうちょっと増やしてあげられたはずだから。

ヒーローは、その小さな後悔に躓いて、今でも泣き出しそうなときがあります。

これを読んでいるあなたは、ヒーローになってください。
小さな喜びを、小さな想いを、できるだけたくさん伝えてください。
大きな夢を追いかけるのと同時に、小さな幸せの積み重ねを忘れないでください。

テーマ:健康で元気に暮らすために - ジャンル:心と身体

  1. 2018/08/27(月) 22:46:59|
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まだまだ落ち着きません

一ヶ月以上書かないでいると、広告が入るのか・・・・
ってことで、無理矢理書きます。
このブログに来られている方は、闘病中のご本人やご家族の方も多いので、なんとか参考になることを書きたかったのですが、たまにはこういうことも書かせて下さい。

四十九日が過ぎましたが、まだまだ落ち着く状況ではありません。
大分慣れたのですが、いちいち予想もしない小さいものが、彼女との思い出を、そして考えていただろう事を伝えてきます。
タダでさえ広い家なのに、ほぼ1人で生活して、店を開けて・・ってやっていたので、古いモノが捨てられずに残っちゃっているんですよね。
闘病するようになってから、その割合はかなり大きくなりました。

例えば、「賞味期限 18.3.28」と印字された白い紙製の箱が出てきました。
そうです。ケーキの箱ですね。
いつも外来の帰りにデパートなどで買い物をしていましたが、次の外来の前にボクの誕生日が来るので、そのお祝いのケーキを買ったのでした。
実は、僕自身はあまりケーキなどは好んで食べたりしません。
だけどカミさんの食の好みが子供と同じで、こういう理屈をつけないとケーキなどは食べられなかったからなんですね。

前の週の外来で、僕だけが突然に余命を聞いてしまい、緩和外来でどの様に説明されるのかで非常に苦労していたときでした。
あの日、仮にそのまま緩和入院の手続きをしていたらどうなっただろうか?などとも考えますが、当時の僕は「無理は出来ないけど、どうにかして希望を持ってもらいたい」と必死でした。
本人にそれが伝わってしまっていたかは、今では知るよしもありませんが、僕の気持ちはかなり乱れていたのは事実です。

買い物中に、僕はトイレに行きたくなりました。
荷物を持たせておく訳にはいかないので、テーブルのあるところで待っていてもらいました。
トイレから僕が出てくると、彼女はこちらに背を向けて待っていました。
彼女は僕が出てきたことをまだ知りません。
周りの誰も、余命僅かな彼女が僕を待っていて、その僕は今ここにいて、そんな関係なんてことは知りません。
つまり、この光景は、僕だけの光景なんです。
主治医の言葉通りなら、この貴重な光景は、もう見られない光景なのかも知れない・・・
そんな彼女の手には、さっき買ったばかりのケーキの箱だけがしっかりと握られていました。

こんな、箱の賞味期限表示にすら心を揺さぶられています。
当たり前の行動の、当たり前の光景は、僕にとっては貴重な一瞬だったのです。

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  1. 2018/07/16(月) 22:20:00|
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膵臓がんに関わる医療者の気持ち

これは勝手な想像ですから、実際の医療者が「何言ってんだよ」ってことになるかもしれません。
が、医療者、患者・家族のどちらにとっても読んで頂きたい内容です。

膵臓がんステージ4での5年生存率は10パーセントを切っています。
これは治療開始がかなり前の「5年前」状態ですから、今はもう少し治療成績が上がっている(はず)でしょう。
しかし、私たちが聞いた話を総合すると、「大抵1年から1年半ぐらいしか治療できないことが多い」とのことらしいです。
そう考えると、3年11ヶ月ってのはかなり頑張った方かな?・・・ってのはちょっとおいときますが。

肝胆膵の医療者は、この極めて困難な課題に毎日出会い、そして敗北していくわけです。
もっとも、結果のどれをもってして「敗北」というかにもよりますが・・・・
だとすると、この状況でどうやってモチベーションを保つのでしょうか?
以前、病棟による空気の違いについて書いたことがあります。
http://fit393.blog.fc2.com/blog-entry-94.html
この違いは、このような「結果」によってもたらされるものも要因の一つかも知れません。

毎回、毎日、何とかして患者を救おうとしている。
(これを否定したら医療者としてなり立たないので、それはありえません。)
そして、手術不可、化学療法、増悪・転移・・・・、手術できても再発、化学療法、転移、増悪・・・・
これを「単純な日常」として生活しているはずは有り得ません。

そして、付随して必ずつきまとうのは、医療ミスの訴訟リスク。
解決策は、患者主体の治療選択と、完全標準治療の王道コース。

王道コースでは、前述の5年生存率に沿ってしまうのは明かなんです。
かといって、勝手に治療を変えるわけにもいかないんです。

このジレンマを解消する方法はあるのか?

ちょっとした創意工夫、ちょっとチャレンジングな方法。
全て、これを患者や家族は理解するのだろうか?
そして、結局王道コースに戻らなければいけない。

こんな苦しい毎日を肝胆膵担当の医療従事者は抱えているんだと思います。
医師や医療従事者の限界ではなく、現在の医療の限界がそこに見えます。

だけど、ちょっと考えてみて下さい。
おそらくですが、病院も医師も看護師も、大元の治療方針があって、それがベースになっているはずです。
これは厳格な規程ではあっても、そこには幅があるはずです。
その幅を「患者や家族が理解できている状態」だとすれば、標準治療の範囲であっても、かなり幅を持った治療の選択が出来るはずです。

どうすればいいか?
患者や家族は、猛勉強するべきです。そして、医療者の立場を理解して上げて下さい。
そうしたときに、医療者ははじめて出来る範囲内での「チャレンジ」を提案してくれるはずです。
僕は、レースでは「ポケットから取り出した0.5秒」って言っていますが、
お仕着せの治療から、もう一歩患者・家族に合わせた治療が出来るんじゃないか?と思うんです。

例えば、抗癌剤の量・タイミング。
これらは、臨床例の多い病院ほど実態を知っています。
つまり、正解から先に言えば「副作用が強くては治療が続けられない。ある程度の量を減らしても、継続する方が治療効果が高い」という経験から、柔軟に投与量と間隔を変えてくれます。
ところが、このことを患者・家族が理解していない場合(知っている、と、理解している、は別です)、
「量を減らされたから転移したんだ」とか「通常よりも間隔が長かったから癌が成長したんだ」などと考えてしまいます。
そうすると、とにかく標準量の投与だけをされてしまい、「副作用が強かったから休薬は仕方が無い」とかの領解に陥ってしまいます。

これは、お互いがガッカリする結果に行ってしまうんじゃないでしょうか?
僕は、ウチのカミさんが結果的には3年11ヶ月しか治療できなかったけど、
病院と医師と関係者の「ポケットからの0.5秒」を引き出せたから「1年から1年半」ではなく治療できたんだと考えています。

もし、病院・医師の立場を患者・家族が理解して、そして医師や看護師が患者・家族を理解して、相互の信頼関係が作られたとすれば、生存率はもっと簡単に上がるんじゃないか?とも考えているんです。

そのためには、この肝胆膵医療者の絶望感、フラストレーションを理解して、一緒に戦う姿勢を持つのは大事じゃないでしょうか?

ええ、この話は、立場が逆転しているのはよく分かっています。
本来ならば、医療者側が患者や家族に十分な説明をするのが本筋ですから。
だけど実際の医療現場はそこまで時間や人手は足りていません。
だからといって医療者の不備に文句を言って命を捧げるのは割に合わないでしょう?

僕らが、お世話になった病院・医師・関係者を尊敬して、そして心から信頼していたのには、その期待に応えてもらえたからです。
僕らもそれを築く努力をしました。
一緒に戦ったのは、病ではありません。
僕らの人生の最大の困難に立ち向かってもらったと思っています。
(だから、最後に病院に挨拶に行ったときに、すごく寂しくなったんですけどね)

どこの病院でも・・・ってことではないとおもっています。
だけど、僕らがお世話になった病院では、関わってくれた誰もが「ポケットに入った0.5秒」を出してくれました。
本当に感謝しています。ありがとうございました。



テーマ:医療・病気・治療 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/06/16(土) 19:35:55|
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僕らにとって3年11ヶ月は

たくさん色々なことを書きたい気持ちがありますが、何を書いていいかわかりません。
ちなみに、通夜・葬儀については、余りにも記事としては「普通」になってしまいそうで、ただの記録になってしまいます。
なので、よほど気が向いたら書こうかな?と・・・・

僕らにとっての3年11ヶ月とタイトルしましたが、実際には、僕とカミさんとでは立場がまるっきり違っているはずです。
だから本当に「僕ら」なのかどうかは自信がありません。

病気が判ってから、僕ら2人の関係はかなり強い結びつきになりました。
例えば、よくある話で、会社の同僚と飲んでいて夜の10時頃とかに「もう一件行こう」と言われたとします。
仕事だからと割り切れば仕方が無いことかも知れませんが、それでも「ああ、カミさんに愚痴を言われるよな~」ぐらいには考えるでしょう。
僕は、カミさんが病気になってから、それがなくなりました。
とにかく一緒にいる時間を多くしたい、と思ったんですね。
最初の方のブログの記事にこんな事を書いています。
http://fit393.blog.fc2.com/blog-entry-21.html

「手術は、そんなに大げさではないのですが、はじめて入院させたその日。
病室の窓側のベッドに入ったのですが、そこは帰り道になるところでした。
3階の窓から手を振っていた姿をこの後毎回見ることになり、その度に涙がこぼれました。」

だけど、それでも本人にとっては、まだまだ不十分だったようでした。
カミさんも、僕も、実家で商売をやっています。
車の移動時間で大体40分ぐらいかかります。
だから、お互いが単身赴任のような状態でした。
元々は、僕の実家の近く、つまり会社の近くに2人の住居は借りたのですが、そのような事情によりほぼ僕が寝に帰るだけの部屋になってしまっていました。
僕的には、いつでも帰ってこられるようにと思っていたのですが、そのうちにカミさんは実家の生活の方が楽になります。
それは当然でしょう。
そして、闘病するにつれ、ほぼ僕らの部屋には帰ってこられなくなりました。

確かに、それは本人のワガママで実家の店をやることになったのですから困ったモノではあったのですが、彼女にしてみると一緒にいる時間をもっと増やしたいとも思い始めていました。
そして、転移が判って、年が明け、今年になってからは僕がカミさんの実家から通うことが多くなっていきました。
彼女の言葉を借りると「僕と一緒に暮らしたい」と。

僕らは、子供のようなやりとりをするようになりました。
それはとにかく、病状で不安になったり、落ち込んでしまうことを避けるためだったのですが、ホンのつまらないことでもお互いに笑い合うようにしていました。
子供のようにドライブに出掛け、水族館に行き、お菓子を買って・・・・

元気な大人なら「何を子供じみたことを」というようなことを一緒にやっていました。
いつもだったら「何をふざけてるんだ」とか「もっとしっかりしてくださいよ」とかいいそうなことを、一緒に楽しんでいました。
まるで付き合い始めた恋人のような感じでした。


商売をやっている人と、会社勤めの人とでは、生活に於ける心配事が根本的に違います。
今月末の支払いが・・・とか、売り上げが・・・とか、その点で、2人の感覚は一致していましたね。
そして、がんという病気が思っていた以上に世間とずれているという点でも、他の人に話せない悩みを抱え、2人だけの闘病になっていきました。

2人は、仕事の関係上、ともすれば疎遠になりがちな夫婦生活、関係を
闘病を軸にしてより強く生きたんだと思います。

だから、ものすごく濃厚な夫婦生活を送ったと思っています。
そして、だから、病院の先生や看護師さん達みなさんが、僕らの人生の味方だと思っていたんです。

その意味では、今の寂しさはかなりキツいものになってしまっています。

テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体

  1. 2018/06/13(水) 16:31:35|
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