がん(膵臓癌)に出会って初めて判ったこと

家族がステージ4すい臓癌・手術不適から、手術にこぎつけた

治療中、本人は若干痩せたけど

前の話にかぶってきます。
手術前、ウチの場合は、すい臓癌の治療も大事ですが、胆嚢炎の症状との戦いもありました。
動物性油脂や、肉系が激痛を引き起こすのでした。
もちろん、1ミリもダメなのか?というと、実際はそうじゃないんだけど、体が恐怖を覚えていて拒否したりしましたね。

動物性油脂・肉を避けた食事・・・って簡単に言いますが、実はこれ結構大変です。
例えば、某オレンジの看板のファミレスに行ったとします。
殆どのメニューに、動物性油脂や肉が使われています。
唯一、海鮮系の紙鍋の食事・・・これが大丈夫でした。でも、「唯一」なんですよ。
これで毎日毎日3食メニューを考えるのは、本当に苦労します。

ただ、たまに、どうしても食べたいときがあるみたいなんですよね。
大好物の天ぷらとか。
おそば屋さんなどにはよく行ったのですが、天丼が食べたい、と。
だけど、どう考えても、1人前を完食する自信はない、ってなったとき、そのメニューを諦めてしまうんですね。
そうすると、僕の出番なわけです。
「残したら僕食べたいから注文しなよ」と。

いや、実際に、食べるのはキツイですよ。
僕が残しちゃったら結局「無理している」ってバレますから(笑)

そんな食生活をしていたら、僕は徐々に体重が増えていき、
本人が減っていった分、僕の血と肉になってしまいました(^^;

でも、そうやって、楽しく過ごすことは、大事だと思っています。

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  1. 2017/02/12(日) 00:31:23|
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くだらない会話が大事

外来と入院病棟は直接は繋がっていませんが、ほぼ毎週のように通っていた僕たちは、どちらのフロアでも顔なじみになっていました。
担当医やチームの医師を含めて、看護師さんや看護助手さん、受付の人、2年ぐらいだけどこちらもちょっとでも仲良くなっておこうと思っていました。
看護助手さんはベテランさん(たぶん年齢(^^;)が多かったせいか良く声を掛けてくれましたね。
「あらー、今回は何ぃ?」「ええ、5回目の検査ですぅ」「あらあら、また大変だねー、がんばってねー」なんて感じ。
大きい病院ですよ。だけど、割と有名人になっちゃっていたかも知れません。

先生が回診に来たときも、少しでも気を引くために、電動のオープナーとかマジックハンドをこれ見よがしに置いておきましたから。
そうやって、少しでもお互いが緊張がなく接することが出来ると、自ずと会話の時間も多くなりますし、通常では言いそびれるちょっとした変化なども言いやすくなっていました。
おそらく、病院側も同じで、割といろいろと気軽に話してくれていました。

話をしたけど、あまり理解できなくて治療が進む、ということは色々な場面で見てきました。
例えば、入院していたときに、斜め向かいの患者さんが家族の方とこんな話をしていました。
「今度、新しい薬に変えるかどうか返事しなきゃ無いんだけど、効くか効かないかわかんないっていうから、断るよ」と。
聞こえてきちゃったんです。

おそらく、抗癌剤を変更しなきゃいけない局面だったのでしょう。
だけど、抗癌剤は全ての人に効く薬ではないですよね。
だから本来ならば「3~4割の方には大きな効果がある、という結果が出ていますが、こればかりは試さないとわかりません」
ってのが大元のニュアンスでしょう。
そして、たぶん「これが効きにくかったら、次の薬を検討します。合う薬があるはずですから頑張りましょう」的なことも付け加えるはずです。

だけど、風邪の治療や、骨折や傷の治療と同じように捉えている患者だとすれば、これを正しく説明するには大変な時間が掛かります。
僕らも、最初に先生と2時間やり合わなかったら、こう考えないでしょうから。
そうすると、お互いに「説明してくれない」「説明しても判らない」「時間が無い」で、、、「おまかせします」

これは、不幸ですね。
もちろん、本来であれば医療者側が丁寧に説明するのが筋です。
だけど医療者には時間がありません。たくさんの患者を診ています。
そうすると、一応説明はした、了解も得た、サインももらった・・・という治療になってしまいます。

結局、しばらくして回診に来た担当医にその方は「別のクスリのお話、あれはちょっと・・・」「あ、わかりました。じゃやめますね」
と、足早に医師は帰っていきました。

今は便利な世の中です。
ネット上にはたくさんの情報が流れています。もちろん、有益なものも、無益なものも、有害なものも。
これらを味方に出来るかどうかは、治療の上でもの凄く大事なんだと思うんですね。
相手のせいにするのは簡単です。だけど、その代償が命では割に合いません。

随分最初の方の記事で書きましたが、医療はマジックではないです。
単純な科学・化学の気の遠くなる積み重ねで成り立っています。
分かろうと思って調べれば、かなり答えに近付くことが出来ます。
これらを総動員して、医師と病院と力を合わせていく。
このことが、患者と家族が出来る最大限の治療かも知れません。

医師も、そのような患者・家族であったなら、ある程度専門的な話をしても理解できる、と思ってくれます。
格段に情報量が増えますし、こちらの状況や要望も応えてくれるようになります。
なによりも、それを知っていることで、医師にチャレンジさせることが出来るのですから。

医師とのコミュニケーション。
本来ならばプロの方、医師の方が患者に寄り添うべきなのは判っています。
だけど、そうはならない現実もあります。そのままで良いと思わないでしょ?
是非論じゃ、命は守れないですから。

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  1. 2017/02/02(木) 19:41:31|
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戦友

人の紹介で、電話で話したのは随分前でした。
今はSNSで自分の行動の記録とか見られるから、調べてみたら2014年の7月だったみたい。
たぶん、転院した頃の話だと思う。
音楽に詳しくて、そのころも十二指腸に問題を抱えていたらしいんだけど、それは大したことでは無かった。

ところが、彼もすい臓にがんが見つかって、同じ病院に転院した、と聞いた。
外来の曜日は同じだから、たぶんすれ違ったりはしていたんだろうけど、面識がないので判らなかった。

実際に会ったのは、去年の1月。
彼の事務所で、ずっと音楽の話をしていた。
その時点では彼は、GEM+アブラキサンからGEM+TS1に変更していた。
そして、外来でも良く喋るようになっていた。

彼が手術できて、すごく嬉しかったのと同時に、ちょっぴり羨ましかった。
まだ僕らは、4回目の検査の前、つまり腹膜播種に挑んでいるときだったから。
だけど、しばらくして外来に来た彼と奥さんはちょっと様子が違っていた。
どうも、マーカーが上がっているようだった。
術後の抗癌剤を、変えることになるらしい。

どういう経緯で、どんな検査をして手術に至ったのかは詳しく聞いていない。
というか、聞けていない。
空腹感はあって、食欲もあるらしいけど、やっぱりすぐに満腹になるようだった。
僕らが、5回目の検査を終えて、手術が決まったあたりでは、だいぶ副作用が酷かったようだった。

実は、僕らの手術の日、コンビニに寄った僕は外来を覗いてみた。
奥さんが一人で来ていた。
副作用が強いようなので、量の調節をしてもらう相談に来たらしい。
本人が居ないことが気になった。
「今、手術中なんですよ」と言ったら、驚きながらも「おめでとう」って言ってくれた。

数日後、見舞いに行った僕は、廊下を歩きながら、3つ手前の病室に彼の名前を見つけた。
驚いて入っていったら、苦しそうな彼がいた。
急に歩けなくなり、転移が骨髄にあることが判ったらしい。
樹状細胞ワクチンの治療の申し込みをして、もうすぐ治療開始というところだったらしい。

あまり状況が良くないのは感じた。
12月に入って僕らが退院するとき、挨拶に行った。
何も言わずにいたほうがいいのかどうか迷ったけど。
だけど、本当になんて言えば良いのか判らなかった。
今まで使っていたマジックハンドを渡して、冗談言いながら、音楽をちょっと聴いて。
彼は「もっと音楽の話が出来れば良かった」と泣きながら言った。
だから「またすぐ外来来ますから、次の時には○○のCD持ってきます」と答えた。

1月に入ってすぐ。
いつもの病棟に行ってみたけど、緩和病棟に行ったと教えられた。
すごく綺麗な部屋だった。
くすりのせいで、若干意識が薄かったけど、聞かせたCDの作曲者名をハッキリと言った。
ディミトリ・ティオムキン こんな名前がすぐに出てくる人はそんなにいないだろう。
また、すぐ来るよ、と約束して病室を出た。

翌日、紹介してくれた友達から電話があった。
亡くなった、と。

お互いの闘病を励まし、喜び、本音では羨ましく思い、そうやって勇気づけあった関係。
お互いの気持ちの触れ方が、逆の波が多かったかも知れないけど、
間違いなく一緒に戦った仲間だと思う。
本人だけではなく、その家族も。

彼の残したものは、いくつかは世の中に出ているもの。
だけど、彼の感性は、受け継がれたのだろうか?なくなってしまうのだろうか?
そう思うと、何か残しておきたいと思った。
このブログを書き始めたのも、それが一つの理由です。

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  1. 2017/01/12(木) 09:05:19|
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退院してからの数日間

退院当日からの数日間。これが一番大変でしたね。

退院当日、いつもよりも多くなってしまっている荷物をカートに載せて、駐車場まで移動します。
もうこれが歩くのが大変で3倍ぐらいの時間が掛かります。
一応、久々の外出気分なので、いつものデパートで食品を買ったりしようということになりました。
今考えると、これ自体はかなりの冒険だったんですけどね。(^^;

歩くスピードが、おばあちゃん並みです(っていうと、おばあちゃんに怒られるかな)
だけど、見た目は怪我をしているわけでもなく、普通なわけですから、一般人との距離が難しいです。
例えば、歩いていて向こう側から誰かが歩いてきたとします。
向こうはこっちがゆっくりしか移動できないとは思っていませんから、そのままのスピードで、「避けられるだろう」という間隔で歩いてきます。
もう隣に居る僕が、間に入らないとぶつかるんじゃないか?というくらいの感じです。
何に例えれば良いのかな?
高速道路に入った途端に、エンジンの調子が悪くなって、20km/hでしか動かなくなって、ハザードも点けられない感じ。
(なおさらわかんないか)

いつもだと、数分で辿り着く食品売り場がすごく遠いです。
途中で休みたいとも言われると、もうどうしたら良いかわかんなくなります。
なんとか、買い物を済ませて、家に帰ってきます。
今度は、駐車場から、部屋までがすごく遠い。階段もある。
全然普通の時間感覚では予想が付かなくなっているんです。
ついに、部屋に到着。
今度は、ソファに座ることは出来ても、横になることが出来ない。
今まで、リクライニングベッドだったから、なんとか休めていたのでした。
クッションとかをうまく詰めたとしても、今度は起き上がれない。
ベッド脇のガードに手を掛けて起きていたからでした。

もう夕方になろうとしていましたが、とりあえず急いでホームセンターやらニ○リやらに行くことにします。
もちろん、本人は置いていきます。怖いと言えば怖いですが、他に方法はありません。


まずは、こんなベッドガードを探し出して、カートに入れます。
上手く乗らないし、大きいので、買い物中も一苦労です。
リクライニングベッドは、展示はしているんですが、すぐ持ち帰るものは無い・・・と。
あー、お届け致しますってのはこういうカラクリなのか・・・と思い、とりあえずは物色しますが

これがなかなか難しくて、簡単なタイプは、足と頭が同時に1つのモーターで動いてしまうんです。
別々になると、途端に値段が上がります。
いや、ウチの場合は、頭だけでよかったのですが、今度はマットがよくない。
やっぱり、専門のものは、良い物を使っているんだな・・・って思いました。

(そういえば、後で見つけたのですがJRでレンタルしているのは、結構安いはずです。)

どうしようもないので、とにかく色々な形のクッションを買ってみます。
ビーズソファ系とか買いまくります。
割と安いから、ガンガンとカートに入れるんですが・・・・
駐車場に着いてから「これ、どうやって部屋に運ぶの?」と頭を抱えたのは秘密です。

翌日には真っ直ぐは寝られるようになったみたいで、起きるときや、立つときの取っ手というか、それは必要でしたが。
ただ、食べ物系・・・最初の頃は、おにぎりを1/3でももう食べられないってなっていました。
ついでに、すぐに便意がくるらしく、食べてすぐにトイレ、っていう生活でした。
いつになったら、ある程度になるんだろうか?と悩んでいたのが、数週間でしたね。

実は、先日主治医から聞いた話なのですが、胃腸系の手術をした人は殆どの人が同じ感想を持つそうなんです。
それは、特に癌の手術の場合は、自覚症状があまりなくて、体力的にも手術に耐えられる状態でなければならないので、殆ど健康体の気持ちで手術を受ける、終わってガッカリする・・・っていうことでした。
なるほどね。

で、ウチの場合は、内視鏡手術を何度もやっていたので、その感覚で回復スピードを考えてしまった部分もあって、なおさらガッカリしてしまったようです。

*2月に入って、相変わらずの下痢止めは必要ですが、食べ物も1人前食べられるようになり、体重も僅かに上昇に転じ、雪かきぐらいは出来るようになっています。


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  1. 2016/12/22(木) 17:08:01|
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手術翌日から退院まで

ICUには、手術当日を含めて2泊いたことになります。
ICUの面会時間はかなりキッチリ決められていて、待合室に集合して、みんなで入るって感じでした。
手術直後は、まだ麻酔がかなり効いていたのですが、翌日はだいぶつらかったらしく
「話すのつらい。ごめん、今日は帰って」と言われ、とりあえず退散。
次の日は、一般病棟に戻っていました。同じ部屋です。
同室の方から「よかったねー、がんばったねー」なんて言われてちょっと照れくさいですね。

まだ点滴や様々な管が繋がれています。
今まで、内視鏡の手術などは何度も経験しているので、ある程度は想定していましたが、今回はさすがに体を動かすのがツラいみたいです。
そう。割と楽な手術をたくさんやっていたせいで、想定内で理解できたことと、想定外で理解できないことが同時に起きていました。
例えば、立って歩くことは早めにやった方が良いのは知っていましたし、なによりもトイレには自分で行きたかったようです。
ですがさすがに内視鏡手術とはわけが違い、かなり大変な思いをして動いていました。
いや、結局は歩いているんですから、それには驚きましたけどね。
食事も、病室に来て3日目あたりかな?本当に水のような重湯とかがでました。なかなか完食にはならなかったようです。
幸い、合併症などもなく順調で、若干の炎症はあったものの傷の治りも早かったようです。
だけど、開腹部だけではなく、肋骨の下の当たりが痛かったようです。
これは、開腹時に広げておく器具が当たっていた場所らしいのですが、本人は肺とか胃が痛いのか?と心配だったようです。
で、この部分と開腹部の傷の痛みがあるので、真っ直ぐ寝られない状態が続きました。
リクライニング状態が一番楽な姿勢だったようです。
痛みが強い場合は、看護師を呼ぶことなくプッシュスイッチで痛み止めを注入できるようになっていました。

立って歩くにも、なかなか真っ直ぐな姿勢は難しく、それでも、病棟の廊下を2周もすれば、300m位は歩いたことになるのかな?
そんなことを午前と午後にはやっていたようです。

食事はなかなか完食にはなりませんでした。
個人差があるので、少なく配膳されるわけでは無いとは言われましたが、本人にしてみれば「食べられていない」という認識だったらしく、胃腸を取ったんだから仕方が無い、っていう感じにはならなかったようです。
痛みもなかなか引かず、トイレは下痢の回数が増え、今までの手術の感覚からすると、全く良くなっていない感じが続きます。
確かに、手術直後から比べたら、少しずつ変わってきてはいるのですが、全然許容範囲になりません。
不安にはなるのですが、退院まではどうなのかな?と考えるようにしていました。

12月に入って、手術から1週間が過ぎ、色々な管徐々にが抜かれます。
腸への直接の栄養投与が抜かれたのは嬉しかったですね。とりあえず、消化器官に大きな問題が無いということでしたから。
今まであった臓器が、ちょっとずつなくなっていて、場所もちょっと違って収まっているのは、おそらくリストラと配置換えされた部署みたいなものでしょうね。
小腸にしてみると、十二指腸はなくなっていて、突然胃からのものが送られてくるわけですから、異物として早く排出したいと思うわけです。
神経節の切除も影響していますが、この状態に胃腸が慣れるのは時間が掛かるだろうな、と思いました。

そんなことをしているうちに、2週間が過ぎシャワーも浴びられるようになっていました。
どうも全部脱いだつもりでも、帽子をかぶっていたことを忘れていたらしく、そのままシャワーを浴びたらしいです。
ちょっとしたトラブルも笑える状態にはなっていました。
病棟にクリスマスツリーが飾られたときは、勝手にサンタクロースになったつもりで、長靴のお菓子を飾っておきました。
もう、見つからないようにやっているので、不審者感満載です(笑)
(あとで、看護師長には伝えておきましたけどね)

全ての管が抜けて、点滴も殆どしなくなってきたあたりで、担当している医師の一人から
「退院はいつ頃にしますか?」と聞かれました。
いやいや、それって、僕らが決めて良いことなの?って思ったのですが、病院的にはあとは回復を見るになったと。
結局、その3日後、入院期間23日間で退院することになったのですが、
まだ真っ直ぐ寝られる状態ではないし、痛みは若干あるし、食事は通常の1/3なのに、退院?
本人は「え?ここまでしか治らないの?」と思ったそうです。

それは、かなりがっかりしたようです。
クリスマスには、チキンやケーキが食べられるかもしれないとか、正月には・・・とか考えていたようでしたから。
僕も、はじめて「え?こんな感じなの?」と考えながら表情には出さず、若干の後悔もあったのは事実です。

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  1. 2016/11/27(日) 10:18:21|
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